自然と花鳥、伝統と革新
本学客員教授 加茂元照さんとの対話

今月のワシヤマ Vol.49より
※ この文章は東京学芸大学の前学長 鷲山恭彦氏と当花鳥園グループ代表取締役社長
  加茂元照との対談で、2010年2月28日に同大学のホームページにて紹介されたものです。
  鷲山学長は2010年3月をもって退官されました。

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【鷲山】先生は、現在、「松江フォーゲルパーク」や神戸・掛川・富士で「花鳥園」を経営されています。人間と自然との関係、花や植物や鳥との関係について独自の哲学をもっておられ、それに基づいてお仕事をされています。最初は花菖蒲園から始められました。

【加茂】菖蒲(ショウブ・サトイモ科)はもともと薬草で邪気を払うとされており私の家でも門前に植えられていました。菖蒲は端午の節句と結びつけられますね。端午の節句の5月5日は、古代中国の憂国の詩人屈原が汨羅に身を投げたのを供養することで始まったとされますが、5月頃というのは、急に暑くなり体調を崩す季節で、そこで厄よけの菖蒲が飾られるようになりました。端緒は菖蒲には芳香油が含まれ、葉を手で揉むと汚れが落ち、よい香りが漂うところから生じた様です。

【鷲山】小さい頃、5月5日には菖蒲の葉をお腹に巻いてお風呂にはいりました。葉の香がいいですね。こうすると1年中元気で健康でいられるといわれました。また「菖蒲」は「尚武」を連想します。

【加茂】端午の節句は中国から飛鳥、奈良の頃に始まったといいます。花菖蒲は平安時代に甲冑の文様に使われ、これを着用すると矢玉を避けるとされました。後に「尚武」に通ずるとされ、武家文化ともなりました。
伊達政宗が岩出山城下にノハナショウブの自然変異株を収集、増殖したのが花菖蒲園の始まりで、これが伊達の江戸屋敷に移植され、市中に出回って江戸花菖蒲が誕生しました。
堀切菖蒲園は、天保の頃に豪農が開いた花菖蒲園ですが、花を愛でつつお料理が食べられるということで天下の名所になりました。弘化,嘉永には旗本の松平菖翁が多数の新品種をつくり、花菖培養録を表し、これらが熊本の武士たちにより1000品種を越える銘花を生み、明治以後世界に広まりました。

【鷲山】「加茂花菖蒲園」はそういう伝統の上にもあるのですね。

【加茂】戦後の農地解放で生活のすべを変える必要がありました。身の周りにあるいろいろな可能性を探ったのですが、家の前に江戸時代からの花菖蒲を見に来る人がたくさんあり、喜んで帰っていく。それで花菖蒲園として拡大整備しました。厄よけが経営になったわけです。

【鷲山】 先生の事業を拝見していますと、確固とした美意識が貫かれていると同時に、学問性を強く感じます。

【加茂】学生の頃、郷土史に興味を持ち、学長の御祖父さんの鷲山恭平先生の所へ何度もお伺いし、特に二宮尊徳の報徳社のことについてお教え頂きました。このときに、自分の足元にある文化を大切にすることを学び、それが花菖蒲園を始めることに繋がりました。


園芸文化には力がある

【加茂】花菖蒲は大好きな花ですので、次第に日本はもとより、世界にも広げたいと思うようになり、日本花菖蒲協会をはじめアメリカンアイリスソサイエティーに入りました。そうしますと情報が入って来ます。国際コンベンションなどにずいぶん関係し、園芸文化には大きな力があるということを知りました。

【鷲山】「園芸文化には大きな力がある」というのは素敵な言葉です。

【加茂】園芸を単に自分の暮らしの手段としてだけではなく、この大きな力をもっと何かに役立てられないか、と思うようになりました。英国の王立園芸協会(「ロイヤル・フォルティカルチャー・ソサイエティー」RHS)にも入り、ヨーロッパとの園芸交流を始めました。

【鷲山】情報交換以上に、人と人の交流の意義は大きいのでしょうね。

【加茂】第一次オイルショックの時でしたが、ベルギーのカルムタウト樹木園で数名の方々と知り合いました。一緒にお茶を飲んだ折、その方々の園芸レベルの高さに圧倒されました。後でその方々はECの役員であり、私の相手をして下さったのは英国の閣僚であったことを知りました。
ECとしてのオイルショック対策、特に産油国連合のオランダに対する輸出禁止措置に対する下相談を樹木園で行い、翌日の決議案を作っていたのです。
その後ヨーロッパ統合通貨ユーロの誕生、拡大を見ましたが、多くの難問は、花の下の「ガーデンパーティー」の席で解決されたといいます。

【鷲山】「ロイヤル」という言葉がつく団体は「言葉によらず」をモットーにしていると聞いたことがあります。権威によりかかるのではなく、事実に即した科学的精神を貫くことですね。そこで園芸の力と共に、ソサイエティーの力を実感されたわけですね。

【加茂】英国王立園芸協会のガーデンに花菖蒲園を作ったとき、日本の歴史的品種群を寄贈したところ、そこから世界最高のコリウスコレクションを頂きました。これを元に掛川花鳥園の園長の大塚淳一君が育種を行い、品種数を倍加させました。
こうした交流で気がつくことは、社会が進んでくるにつれて、人と人との関係が切り離され、薄くなってきている。それを和らげ、失わないようにすることが求められていて、園芸がその役割の一つを受け持っていることです。それはジェネレーションを超えた教育でもあるわけです。国境を越えた人と人の直接の関係も強められます。
冷戦時代に、西ヨーロッパ諸国に花菖蒲を普及する反面、仮想敵国とされていたソ連のモスクワ、レニングラードの植物園、北朝鮮の平壌中央植物園に花菖蒲を植え、講演もしました。お陰で広く植物探索する許可が得られ、ノハナショウブの原産地である東部シベリア、北朝鮮での分布状態、変異を自分の足で見る機会を得ました。花チャンネルは世界中に通じているのです。


[ソサイエティーにおける学び]

鷲山 学校での教育は、知識を教えるということですが、ソサイエティーの活動は、学びであり、研究であり、実生活の必要から生まれた交流ですから、本当の意味で文化の伝播にもなるのですね。「花チャンネルは世界中に通じている」もいい言葉ですね。

【加茂】まさしく本当のエデュケーションですよ。実感的に学ぶことが出来ました。特にアメリカは広い国で、ばらばらになり易いから、親密さを求め、コミュニティーを固めるために、いろんな花のソサイエティーがたくさんあります。椿、デイリリー(萱草)しゃくなげ、フクシアなどの協会にも入り、その道に熱心な友人がたくさん出来ました。

【鷲山】花と国際的なソサイエティー。先生の新たな修業時代、遍歴時代ということですね。

【加茂】花菖蒲は5月から6月の一ヶ月ほどです。しかしソサエティー活動なら花菖蒲だけも1年中いつでもお付き合いが出来ました。

【鷲山】先生は富士に国際花園をつくられました。あそこは確かベゴニアでした。花菖蒲から一歩でられました。

【加茂】人との出会いは大きいですね。先生もご存知の辰野の吉江清郎先生は、球根ベゴニアの草分けで、花菖蒲の研究もされていました。アメリカアイリスソサエティーで知り合った花友達が、当時世界一と言われたライネルト園の球根ベゴニアカタログを送って来たので吉江先生と話し合い、ライネルトから球根ベゴニアをたくさん輸入しました。
この流れで朝霧高原に1年中満開のベコニア園を作り、頭上一面の満開が実現し、新しい空間:花鳥へと進むことになります。


生活文化の中のふくろう

【鷲山】ベゴニア園には世界のフクロウがいます。フクロウとの縁は。

【加茂】裏山で、「ホー、ホー」と鳴く鳥がいて、小さい頃「あれはフクロウですよ」と教えられ、それ以来ですね。むずかったり、いたずらが過ぎたりすると、「言うことを聞かない子は、フクロウさんに連れて行ってもらいますよ」と脅かされるのです。夕方、暗くなると寂しげにホー ホーと鳴くでしょう。怖かったですね。人の顔をしたフクロウが暗闇になると悪い子供を捕まえにぬっと出てくる。凄い脅しでした。

【鷲山】先生の所は原田村で、私の所は土方村で、20キロ位しか離れていないのですが、私はフクロウのそういう話は聞いたことがありません。先生の村の方が山深くて日常的にフクロウと接することが多くて、そんな民間信仰というか、言い伝えが生まれたのでしょうね。

【加茂】小学生の頃、巣から落ちたフクロウの子を山で拾い育てました。助けて育て、山に帰すと良いことがあると言われますが、うまく育たなかったですね。肉食ですからカエルやミミズを捕まえて食べさせたりしましたが、子供には荷が重過ぎました。

【鷲山】中学校の時に鷺山に行って、白鷺と五位鷺を捕まえてきて飼ったことがありますが、生き餌でないと食べないでしょう。毎日、川に行って魚を取るのが大変でした。肉食の鳥を飼うのは難しいですね。

【加茂】鷲山先生もフクロウを飼ったことがあると聞いておりますが、
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【鷲山】私の村に住んでいる友人が巣から落ちた雛を育てたのですが、飼いきれなくなって困っていた。野に放しても、人の手で育っていますから、自分では生きてはいけません。決心して引き受けました。10年ほど飼ったのですが、餌は今ではドックフードがありますから楽でした。

【加茂】1960年代後半にヤマハの川上源一社長の所で、コンサルタント的な仕事をしていましたが、川上さんは鳥が好きで、私が山で拾ったフクロウの雛を自室で飼っていました。奥さんが「汚い」と嫌がり外に追い出したのですが、馴れていて庭から離れず、餌を持って行くと木から降りてくるのです。フクロウを檻の中でなく、外庭で飼うことが出来たのは素晴らしい経験でしたが、餌をやり過ぎて肥り、飛べなくなったところを猫にやられてしまいました。

【鷲山】何か事を進めるときに、かつての経験から暗示される力は大きいですね。

【加茂】そう思います。富士のベゴニア園の経営が軌道に乗った頃、長女の連れ合いがメンフクロウを飼い始めたのを見て、「フクロウはいいなあ、じゃ、又飼うか」と思い立ち、世界のフクロウを集め始めました。
花と鳥が好きなドイツの友人に、ハノーバーの近くのフォーゲルパークワルスローデを紹介され、そこでたくさんのフクロウを分譲して頂き、一挙に多くの種類が揃い、今では各園合計43種類、400羽ほどに増えました。
ドイツ人はヘーゲルの残した「ミネルヴァのフクロウは宵闇に飛び立つ」と言う言葉に想いを寄せているように見えます。

【鷲山】ヘーゲルの『法哲学』にある言葉です。知恵を司るフクロウは、これまでの世界が古びて黄昏れ時を迎えると、それを見計らって飛び立って行く。新しい認識への強い希求を表した言葉ですね。


花鳥という概念

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松江フォーゲルパーク・花鳥園パンフレットより

【鷲山】その後、松江にフォーゲルパークを創られました。ドイツ流だと思いますが、その後に、掛川と神戸に花鳥園をつくられました。

【加茂】9年前、松江フォーゲルパークを計画した頃、ドイツのフォーゲルパークが経営難で、買い取って欲しい、と言って来ました。600種の鳥が5000羽もいる鳥園です。
世界一の鳥園でも、経営が行き詰まったのは何故かというと、「ズー(動物園)の概念」が間違っているんですね。
鳥を檻に入れた動物園形式を主とした園だったから、だめなのです。人と鳥が網で隔たれていたからです。「ズー」は、博物館的であり、動物を集め、檻に飼い、外から観察するスタイルなので、来園者と動物が檻で隔たれ、仲良く遊べず、良い経営が出来ないのです。
このスタイルを変えることが無理と分かったので買収は断念し、自前の園を作ることに決めました。動物園的要素を少なくし、檻で隔てず、鳥と人が同じ空間で触れ合える形を目指したのです。

【鷲山】そこで「花鳥」の考え方に思いが至った。

【加茂】アジアには古くから花鳥の概念があります。身の周りに花と鳥を置いて、大自然と人間の関係を密にする。大都市に暮らしても自然を身近に置く工夫です。

【鷲山】東洋らしい自然と人間の関わり方ですね。

【加茂】そうです。人間と自然を分離し、後で足し算をやってもダメです。花鳥の考えは古代中国に発し、日本で熟成した概念で、これを園の経営に取り入れました。
花鳥画と庭園様式を、中国・韓国(朝鮮)・日本の流れで見ました。日本庭園は、重森三玲先生とご子息の完途さんに教えて頂きました。ミレーとカントに因んだお名前なんですね。どちらもオリジナルな方でした。

【鷲山】花鳥とか、庭園とか、自然を近くに置くというのは、都市生活の拡大が引き金でしょうか。

【加茂】そうですね。都市生活が大きくなると、自然との距離が遠くなってしまう。それで大自然をいかに都市生活に取り込むか?という発想が出てくるのですね。それが庭園の発祥です。
日本は狭くて小さい庭を造るしかないので、自然の圧縮度を高め、抽象化を進め、遂に龍安寺の石庭に辿り着くわけです。

【鷲山】庭園の考え方と花鳥という考え方は似ていますね。

【加茂】人の身近に自然を置く。花や鳥を取り込む。花、鳥、人を近くする。動物園のように檻に入れて分離しない。すぐ傍にいつも花や鳥がいるという「共存関係の工夫」ですね。

【鷲山】人と花と鳥がいわば同居している。確かに「花鳥の概念」は、「動物園の概念」の対極にあります。

【加茂】鳥を檻に入れない園形式があるに違いない。鳥や花と同居する。その拡大形として集客性のある園とはどういうものか?です。通常、鳥は人から逃げていきます。花鳥園はその逆で、鳥は飛んできて人の肩や腕にとまる。その位「近い関係」をつくる。
チャールス・ダーウインが初めてガラパゴス諸島へ行ったとき、空を旋回していたハヤブサが舞い降りてきてダーウインの肩に止まったことが『ビーグル号航海記』にあります。人が超猛獣であることを知らないハヤブサだったからです。これを大学2年で読んだ時に花鳥園の発想が始まったのかも知れません。

【鷲山】そういう回路を人間と自然の間につくる営みなのですね。
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【加茂】花鳥は自然と人間をつなぐ細い糸かもしれないが、大事な命綱だと思います。そこに皆さんが感応し、花鳥園に大勢来て下さる。新しいビジネスモデルの誕生です。

【鷲山】掛川花鳥園では、日本の古代風大きな建物の入り口には世界のフクロウ、池には水鳥やペンギンがいて、温室の中はインパチェンスなどの花が上から垂れていて、花の下で食事ができるようになっています。
睡蓮の池のある大きな空間にはインコやオウムやキジなどが沢山いて、鳥たちと遊べます。シギやクロトキなどの空間もありますね。フクロウやタカのショーもあって、子どもも親も楽しく鳥と遊んでいます。


花鳥園の発展形態

【加茂】花鳥園は、バリアフリー(ユニバーサルデザイン)に徹しています。ですから、高齢者の皆さんや障害者がよく利用して下さいます。花鳥園に来ると、「心身とも蘇った気がする」と言われるようにリハビリ機能も果たしています。
研究所や大学の皆さんが「サイエンス・カフェ」としてお使いになる場面もあります。花に囲まれて議論すると普段とちがったアイディアが沸いてくるからでしょう。

【鷲山】中国から依頼されて、中国にも花鳥園をつくられますね。

【加茂】上海と南京の中間、常州市に作っています。ここでは今までの花鳥園の経験をもう一歩進めて、障害者や高齢者が車椅子で花鳥園の管理、花や野菜の栽培に参加出来るモデルを考えています。

【鷲山】花鳥園を新しい働き場にするのですか。

【加茂】花鳥の概念は、自然を圧縮して身の回りに置く、ということですね。お年寄りや障害者が、「もう帰りたくない」「このままここに居たい」といわれる。「それならここで働けるシステムを作ろう」と思うようになりました。花鳥園のコンセプトとシステムを軸に、自助福祉を徹底的に考えてみよう、と。
中国は日本やヨーロッパと異なり、憲法に儒教思想が盛り込まれており、第49条には、孝行も取り上げられています。福祉の自助も言われています。ですから花鳥園+車椅子農場は、最初に中国で実現できる可能性があります。 

【鷲山】福祉施設に入ると、社会生活から切り離されます。その点、花鳥園のように沢山人がやって来るところで生活できるということの意味は大きいですね。

加茂 日本型の福祉は限界があり、今のままでは破綻します。高齢者も障害者を一般社会生活から分けず、生涯現役を目指すことが必要です。

【鷲山】まだ政府も納税者も「やってあげている」という意識ですよね。これはまずい。両方切り離されてしまっています。

【加茂】老いも若きも、健康な人もそうでない人も、社会の中で渾然一体とならないといけません。両者を切り離すから、社会全体が荒れてくるのです。分離ではなく、共存を考える。そこに花鳥園という空間が使えないかということです。


障害者・高齢者が働ける新モデルの職場

【鷲山】自立する、共存するということと、経営するということの接点をどう創っていくかということでしょうか。

【加茂】そういうことです。経済原則を外れてはダメです。しかしそれが弱肉強食にならないためには、現代の知恵が必要なのです。それを自分たちで開発しないといけない。待っていてはだめです。
テレビはスイッチ一つで、コンピュータ化された内部を知らなくても、運用できますね。同じように、高度なシステム化により、車いすに乗っていても、花、野菜、鳥などの世話ができ、リハビリにもなり、社会との接点を持ち生産活動もできる。そうした複合した機能をシステム化してみたいのです。

【鷲山】花鳥園では植物を育てていますから、農業の一つの発展形態でもあるわけですね。

【加茂】そうです。屋内で農業をする。農業は日本でもだめだが、中国でもだめですね。細分化されているから大きな投資ができない。大きな投資が出来ないと、どうしても開発が不十分になってしまいます。そして国際競争に負けてしまう。
日本は負けてしまった。立ち上がる気力も無い。中国は負けたらダメだと思っています。日本みたいになりたくないと。

【鷲山】昨年の夏に、上海師範大学、華東師範大学、南京師範大学、湖南師範大学と訪問したのですが、図書館、情報センター、語学センターなど、充実ぶりに眼を見張ります。中国の勢いは凄いですね。
日本の国立大学は、運営費交付金は減らされ、人員削減を求められ、本学の場合、私の任期の間に1割の先生方や職員をそれぞれ削減せざるを得ず、教育研究体制がスカスカになりました。果たして見識のある政策を国がしているのか疑いますね。

【加茂】今の中国は勃興期です。上り坂だから何をやっても効果的な展開になります。反対に何をやっても、いいことの少ないのが日本です。努力が有効に機能しない。みんなが逆風に晒され、頑張ってもなかなかうまく行かない。

【鷲山】中国でお仕事を展開することを決心されたのは、そういう状況を考えられたからですか。

【加茂】いや、こちらからアプローチしたのではなく、向こうからの誘致に乗ったのです。中国の車椅子メーカーから、新工場建設計画に花鳥園を組み込みたい、と申し入れがあり、協力して車椅子で植物の管理、生産が可能なシステムを開発することにしました。
今までの花鳥園には入園料のバリアがあったが、中国ではもっと開放的にやれないかと考えました。入園料を取らない形で出来ないか?と。

【鷲山】入園料がないとなると、経営の基盤はどうなるのですか。

【加茂】来る人は食べたり、飲んだりするでしょう。人が大勢集まれば、そこでの営みを軸に考えられないかと。

【鷲山】「掛川花鳥園」の前には、お菓子屋さんなどいろいろ店ができて、まさに「門前町」の様相を呈していますが、小さな町をつくるということですか。


四合院の考え方

【加茂】中国には四合院という考え方があります。中庭を中心にして営まれる生活空間構成です。中庭主義ですね。ちがった性格の建物、違った機能の建物が周囲にあって、それが中庭で一体化されるという様式です。

【鷲山】4つの機能と言うのは。

【加茂】居住、交流、貯蔵、生産の4つですね。こうした機能をもった居住空間の中央に交流スペースとして中庭があります。

【鷲山】ドイツの都市も、中庭の空間を中心に建物が取り巻いています。中国でも都市は城壁に取り囲まれていて、その中の建物は四合院の形になっているわけですね。

【加茂】老若男女、核家族でも、この中庭に行けば、皆と自由に会えて、情報交換、意見交換、会話が楽しめ、団欒が出来る。多くの人ともここで出会える。花鳥園に四合院の形式が参考にならないか? 
そして、今流行のモール形式は四合院を横に大きく伸ばしたものと言えないか? 更に、モールの通路の頭上に、花鳥園のような花の満開が、一年中演出出来ないか?と。

【鷲山】中国では向こうの企業家と組まれたわけですが、花鳥園のコンセプトが欲しくて、企業家たち群がって、引く手あまただった、でもすべて断ったと伺いました。

【加茂】お金儲けだけではだめですね。地上げ屋とか、ディベロッパーとか。そういう方々と組むのは難しい。
今回の中国での花鳥園は、車椅子メーカーとの出会いからです。コンセプトが合致したのです。考え方も同じだし、よい組み合わせと思いました。


新しい農業の可能性

【鷲山】中国の花鳥園は3月3日にオープンされます。

【加茂】中国の花鳥園は、今までの花鳥園の発展形であり、車椅子での花つくり、野菜生産の試みを加えます。
場所は工場団地の中であり、観光地ではありません。しかし、工業団地の中だからこそ、工業の力を借りた園芸、農業が高度にシステム化される機会に恵まれると考えました。温室は6000uです。

【鷲山】日本には昔「五反百姓」という言葉があました。五反あると、きりきり食べていけるかどうか、ということだったのですが、一反多い六反、6000uでなさるわけですね。

【加茂】昔は1坪から収穫される米で1人が1日暮らせた。だから360坪あると1年暮らせるとされ、これが単位(反)になった。しかし、秀吉がこれを300坪1反にした。生産性が上がり実質的増税ができたのです。それでも5〜6反(5000〜6000u)あれば5~6人家族が暮らせる中農と言われた。
「武進花鳥園」の温室は、その程度しかないが、花鳥園ソフトで高度化し、経営を成立させ、そこにパイオニアとしての意義が生まれるといいと思っています。

【鷲山】私はミカンやお茶やお米の農業の経験があり、その時思ったのですが、農業だと1平方メートルの収益など何円程度で本当に高がしれている。しかし同じ面積に工場があると1平方メートルあたり百万円の収益だって上げられる。農業と工業ではこの落差がある。
だから工業生産の生産性の高さの成果は、農業に振り向けないといけない。農産物の価格保証の考え方は、この落差から必然的に出るべき政策で、主要農産物はそうすべきだと。

【加茂】そういう考え方もあります。しかしそれでは何時までたっても農業は自立しません。
温室に工業技術を導入し、照明、空調、ソフト、多段式を複合すると、総合生産性は10倍、20倍、いや、30倍にもなります。科学技術の進歩を使ってチャレンジすることが必要です。

【鷲山】天候に左右されない農業ですね。確かに第一線の企業は、みな高度化された先端技術を駆使している。農業もそうでないといけないということですね。先生は問題の捉え方と展開の仕方が極めて根源的です。

【加茂】問題の所在の把握も大事ですが、何より社会性だと思いますよ。どんな企業でもそうです。現代において大きな発展をするには社会の必要にしっかり応えることが必要です。今着ていますが、ユニクロもそうです。安く、薄く、暖かく、洗濯が容易で、直ぐ乾き、下着だが上着としても使える。
都市の室内でも、効率よく出来る高度農業システムを工夫し、四合院のような過去の生活形態も生かすのです。

【鷲山】まさに温故知新ですね。


社会性――共同あっての個性

【加茂】日本はアメリカから「本当でない現代」を学び過ぎたのではないですか。そういう愚かさをまだ重ねている。アメリカン・ドリームとかいって、自分中心主義の出世物語から決別していかないと。根本は社会性ですよ。皆がよくならないといけない。そういうことを議論する場として花鳥園がある。
人とその他の生物を同列に見た環境の中で、飯を食いつつ、花の下で議論する。西行法師の「願くば花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」を話題にしてみるとか。

【鷲山】個性を出すように、ということが盛んに言われますが、個性化のためには横の繋がりがないとダメですね。皆と共同でやっている中で、自分らしさが具体的な姿で現れてくるし、そこで本当の個性が確立される。

【加茂】庭や花園の中で、分け隔てなく横の繋がりと個性化が同時発展する。現代の教養といったとき、ここがポイントになるのではないですか。
現代生活はその逆を行っています。切り離されたところで自分を創ろうとする。だから社会が荒れてくる。

【鷲山】先生は若い頃にマルクスを勉強されたことがあり、最近の世界同時不況の中でまた『資本論』を読み返しているといわれました。
私もドイツが専門ですし、当時は西ドイツと共に東ドイツもあって、マルクスも読んだことがあって、今でも時々警句的にマルクスの言葉を思い出します。
先日もふと『経哲手稿』にある「非対象的存在は非存在である」という文句を思い出して、いろいろ考えました。

【加茂】Unwesenは「非存在」という訳ですが、そこに「お化け」とルビがふってありました。

【鷲山】そうでした。「具体的な対象としっかり格闘しないないと、人間はお化けになってしまう」ということですね。私たちはうっかりすると、こういう事態になります。
 特に昨今は、知識と情報だけが流れていく情報化時代でしょう。本当に客観的現実とぶつかって格闘しない。例えて言うなら、畑を耕すことで、土の性質を実際に知り、鍬の使い方を体得しというプロセスがないまま、つまり本当の客観性を知らないまま、わけ知りの知識だけが行きかう。

【加茂】現実によってたたきなおされながら、粘り強く学んでいくというプロセスがないと、自己意識だけが肥大化します。それが社会性と切り離されているところが問題です。

【鷲山】人格は未熟なのにプライドだけはある。「これはまずい。謝ってきなさい」と先生が学生に言うと「私のプライドはどうなるのでしょう」とまず聞き返す、というような類の話が最近は多い。人との間で本当に切磋琢磨がない。病理現象ですね。まさに「お化け」です。

【加茂】知識や情報を手にはするが、その元となる事柄と四つに取り組まない。人と人との間もメールのやり取りで終わり。人間の香がだんだん無くなっていく。情報化社会だというのに、却って芯からの真のコミュニケーションが出来にくい。

【鷲山】実際との関係の中で、粘り強く思考し、矛盾の集積の中から打開策を絞り出していく態度が大切ですね。でないと困難に出会うと「欝になる」か、「切れる」か、どちらかになってしまう。先生の言われるよき社会性をどう復権していくか。これは大変重要な課題です。


日本はつまらん連中が未来をたべちゃった

【加茂】中国は世界的大不況の中で発展している。経済政策のよさがでていますね。マルクス、レーニン、毛沢東と社会主義に拠ったが、ケインズも読み込んだ。
世界がリーマンショックから不況に陥った中で、ケインズ流の経済政策を取り込み、大規模な国家投資をして有効需要を雪だるま式に盛り上げ、大成功している。
日本はそれができない。逆をいっています。経済政策はゼロに近い。教育政策もだめ。中国ではマルクスもケインズも生きている感じです。

【鷲山】日本は1960年代の高度経済成長が終わり、1970年代に入って国家投資の対象を見誤りましたね。投資などしなくてもいいところに投資して、必要性も疑わしいダムなどを作り続けた。
そんなことで人工的に雇用を生み出すくらいなら、そうしたお金はもっともっと未来を生み出す、教育や研究に投資して欲しかったですね。その方が新しい産業が育ったのに。

【加茂】新しいものが生まれないまま、今までの成果をひたすら輸出した。食いつぶしですよ。簡単に言うと政策を誤って、詰まらん連中が日本の未来をたべちゃった。

【鷲山】30年といえば1世代でしょう。それがずっと続いた。この誤りは大きい。700兆の赤字もその所産でしょう。

【加茂】このところ『坂の上の雲』が評判になっていますが、司馬遼太郎が言いたかったことは、当時はみんな燃えていた、必死だった、一歩間違えば自分もみんなも死ぬ、創意工夫こそすべてだったし、その中での熟慮と決断が求められた。その日本人の在り方ですね。あの時代はみんな命をかけて生きていました。

【鷲山】今、先生も命がけですよね。ただ、日本のその後の道程を考えますと、明治の終わりに幸徳秋水たちを弾圧して葬り去り、つかの間の大正デモクラシーの時代があったものの、昭和に入って軍部の台頭を許した。もっと共和の思想を取り込んでいれば、日本の進路は違っていたと思います。
中国も、天安門とか少数民族問題とか棘を抱えています。共和主義をもっと取り込まないと、問題が解決されていかないのではないかと思います。建国当初は、「人民協商会議」などがうまく機能していたと思いますが。

【加茂】中国の人たちと話すと、それらは精一杯取り込んでいるというのですがね。
中国は日本と同じで、農業を切り捨てています。これは未来を危うくするものです。しかしどうしていいのか分からず、毒性の強い化学農薬がやたらに増えている。


ふさわしいモデルの探求

【鷲山】先生の模索が一つの鍵を提供するかもしれません。

【加茂】日本では「隣百姓」という言葉があるでしょう。隣で田植えしたから我が家もやる。隣が肥料を撒いたからこっちも撒く。主体性のない言葉として使われますが、見方を変えれば、隣のモデルが良ければ全部が良くなる。良くなればいいではないか?
やはりモデルがないと発展しません。社会はいろいろなモデルで成り立っています。いいモデルが無いと成り立たないから、それを作ろうと考えました。もちろん要所は押さえ、利益性は確保しないといけませんが。

【鷲山】中国の花鳥園にはフクロウも顔の一つですか。

【加茂】中国の人たちの関心の在り方は日本と違います。フクロウを見たい、と聞いたら薬屋に行け、といわれた。捕まえて、粉にして飲んでしまう。漢方薬として使う。粉で売ると幾らという価値意識ですよ。
だからフクロウは花鳥園の顔になりません。動物園には少し居るが、博物館的な価値にとどまり、日本のように「縄文時代からの深層意識+福との語呂合わせの価値」はありません。アイヌの神様は今でもフクロウですね。

【鷲山】球根ベゴニアは華やかで、「中華」という雰囲気にぴったりと思うのですが、メインの花は何になさいますか。

【加茂】球根ベゴニアは高山性で中国の気候的に合いません。植物によい温度と、人によい温度が一致した植物を選びます。
インパチェンスが第一段階、その次は雲南、四川産のベゴニアでしょうか? 目的に合う育種が大切であり、中国科学院との交流の中で模索して行きます。先日、昆明に行ったら、科学院に200種類もの自生ベゴニアが集められていました。
今は転換期です。新しいことを模索していくことこそ大切です。その中から自然へのアプローチの在り方、学びの在り方、体験の在り方、福祉の在り方、経営の在り方、園芸の在り方、農業の在り方など、新しいが普遍的なものになるモデルが出来るといい。それにチャレンジします。広く活用していただけるモデルを創りたいですね。


上海万博参加

【鷲山】上海万博に参加されるそうですが。

【加茂】「武進花鳥園」を車椅子メーカーと作る過程で、「中国残疾人連合会」の幹部と会う機会があり、「車椅子での花つくり」を万博会場に実現させることになりました。
万博中国館の中に残疾人の将来についての特別展示室が1200uあります。その約半分の天井一面に、吊り鉢で満開の、花いっぱい空間を演出し、その植物管理、育成を車椅子+高所作業者に乗った残疾人(障害者)が7mの高さまで上って作業を行うのです。

【鷲山】障害者が対等に、自立的に仕事ができる在り方を実際に提示されるわけです。

【加茂】現場はコンクリートのビル内であり、窓もないので、自然の光はゼロです。従って満開の花天井を育成するには人工照明だけの、密閉型植物工場方式で実現しなくてはならず、見事な満開を半年間確実に続け、水は一滴たりとも落とさない自動潅水が必要です。病虫害防除も毒性のある化学農薬は使えません。
この様な花つくり、演出は今回が世界初であり、実例が全くないので研究と実験を行い、多くの方々のご協力を得て新システムを開発しました。

【鷲山】高度な技術的工夫がひとつのポイントなんですね。

【加茂】科学技術の成果をしっかり取り込まないといけません。インパチエンスの吊り鉢栽培は「武進花鳥園」が担当し、現場で足の悪い障害者が使う高所作業車と車椅子は、パートナーである中国の車椅子メーカーが開発しました。
この上海万博での企画が見事成功すれば、車椅子で、どんな場所でも、例えばホテルのロビー、ショッピングモールの通路、国際会議場、各種展示会場、リハビリセンター、レストランなどの天井一面に花いっぱいの空間を作ることが出来ます。

【鷲山】新しい可能性を探求される先生の若々しい精神に圧倒されます。

【加茂】中国ではリハビリテーションセンターに広い農場を付属させていることが多いので、空調の効いた室内車椅子農場を付属させ、障碍者、高齢者にリハビリを兼ねて花や野菜を無化学農薬で生産する、集客性のある農業経営を誕生させたいと思っています。
これが成立すれば「生涯現役」と「無農薬農業」が一挙に両立する可能性もあります。この可能性を演出するのが上海万博の「生命陽光館(障害者対応の将来像館)」で私たちが引き受けた仕事です。