出羽の姫君  でわのひめぎみ   DEWA NO HIMEGIMI

野生種   白地に淡いピンクがぼかす三英、花の直径は5cm程度の小輪、草丈は50〜80cm程度。

1996年頃、山形県の飯豊町萩生町の山沿いの沢田で、ピンクのノハナショウブを採集し、本種はその株の自家受粉による実生品。親とほとんど同じ草姿で、茎葉は緑薄く葉は垂れ草姿はややまとまりに欠ける。
花色は淡い感じのピンクで、実生品のため花形花色など個体により多少のばらつきがあるが、ノハナショウブのピンクとしては優秀なものと思う。
本種の自家受粉からは、同じタイプの花が咲く。クリオネのような小さな花で、ノハナショウブファン向き。




長井古種のルーツは、江戸時代まで、下長井の飯豊町萩生町周辺の民家の庭先に植えられていた花菖蒲を、明治時代になって現在の長井市あやめ公園の場所に植え付けたのがその始まりであるという。

下長井の萩生では、野山に生えるノハナショウブのなかに変わり花が多くあったようで、江戸時代以前から周辺の民家の庭先で栽培されていたと、長井市の花菖蒲研究家の柿間俊平氏は話しておられた。この萩生の地には、萩生城跡があり、伊達正宗の祖父にあたる人物も住んでいたことがあるそうで、正宗もここから、仙台の岩出山に花菖蒲を持って行ったのではないかと柿間氏は話す。

ここからは当園の加茂の話だが、この岩出山の有備館には、以前、江戸系とも長井古種とも言えないような古いタイプの花菖蒲が植えられたそうである。そして推論ではあるが、正宗が江戸屋敷にこの岩出山の花菖蒲を植え付けたのが、花菖蒲が江戸に伝わった最初ではないかと話す。もちろん記録はないが、当然ありえたことであろう。柿間氏の話とも辻褄が合うのである。

花菖蒲のルーツは、各地から江戸にノハナショウブの変わり花が集められたというが、ノハナショウブの形質から見ると、関東以西のノハナショウブより、関東以北、東北地方のノハナショウブの方が栽培品の花菖蒲の形質に近い感じがするのである。

菖翁の「安積の沼の花かつみ」の話もそうだが、東北地方にはかつてノハナショウブが多く自生しており、変異も多かった。なかでも伊達氏が岩出山の花を江戸に持ち込み、当初は武家の下屋敷の庭園に植栽され、自然交雑されるうち変異の幅が広まり、それが元禄の頃には庶民の間にまで普及したのではないかと、現時点では推理している。