滝の瓔珞   たきのようらく   TAKI NO YOURAKU

熊本花菖蒲   中生   純白の三英花。花径はおよそ16cm前後の中輪から大輪。
草丈は60cm程度。性質はやや弱い。繁殖は普通。

江戸時代の末に熊本藩士の平井内蔵助氏のよって作出された熊本花菖蒲である。
花弁に波や襞が多く、その昔、熊本の満月会では、「玉 洞」とともにこの花を標準花として、
芯の形は「玉 洞」を、花弁の形は本種を理想型として改良が進められたとされる。

きわめて気品の高い三英花で、ただ豪華なだけではない、武士の花である熊本花菖蒲の
品格の高さを伝える歴史的な名花である。



肥後系と言われる花菖蒲の多くの品種を含む系統は、熊本花菖蒲をさらに改良したものである。
この熊本花菖蒲とは、愛玩する花というよりも武士の精神修養のための花として、その品格を非常に
重視して改良された系統である。その堂々とした花形も、厳格な武士精神の顕れだった。
この熊本花菖蒲を昭和初期から普及させた横浜の西田衆芳園も、この熊本花菖蒲の精神的な面を
重視し、つい10年くらい前まで、横浜の磯子の園で、花時に展示鑑賞会を催し、そこでは必ず鉢に植え、
園主の西田氏がその観賞作法を来園者に説明し、観賞していただいていた。西田衆芳園は、その後
花菖蒲を止めてしまったが、この流れは館林の東(とおの)氏に受け継がれ、こんにちでも「館林花菖蒲
お座敷鑑賞会」として、市の町興しの一つとなり盛り上がっている。

しかし、戦後、肥後系が普及するなかで、本来室内で1輪の美しさを観賞するための花が、花菖蒲園に
植えられ、その豪華さの部分のみが一般に受け入れられた感がある。それは当時の高度経済成長時代
の気風とも合致したとも言える。そして、今ではただ大輪で豪華であれば肥後系というような感覚になった。
豪華でくどい花ほど有難がる人もいる。

それは時代の流れなので、嘆くわけでもないが、熊本の満月会の会員の方々によって作出された品種と、
例えば現代の私などが、いい加減な判断で選ぶ肥後系とを区分けする必要を感じ、前者を「熊本花菖蒲」、
後者を「肥後系」と言うように、当園では数年前から区分けして来たし、このホームページでもそれにならった。
平尾先生や光田先生の作花の中には、伝統的な熊本の作風を強く意識した作品が多く、熊本系としたいほどだが、
あえて肥後系のジャンルに入れた。