青森県六ヶ所村のノハナショウブ自生地。芭蕉が「おくの細道」のなかで夕暮れまで花かつみを尋ねた幻想の安積の沼とは、こんな感じだったのではないだろうか。
花かつみ(花勝美 花且見) はなかつみ HANA KATSUMI
最初にお話しておくが、「花かつみ」という花は、実際に存在する花ではない。 この「はなかつみ」という言葉が最初に現れるのは、『万葉集』の、中臣女郎(なかおみのいらつめ)が大伴家持に贈った次の歌である。 おみなへし 咲沢に生ふる 花勝美 かつても知らぬ 恋もするかも そして、『古今和歌集』の巻十四の巻頭に、
そして江戸時代に、それでは実際にどのような植物を指すのかということが問われるようになり、「花かつみ考」という書物が何冊も著され、マコモ、デンジソウ、あやめ(ノハナショウブ、花菖蒲)など、数種類の植物が花かつみであると論証された。なかでも有力な説は「花かつみマコモ説」で、江戸時代の歌学者の間では、花かつみがマコモであるということは、全く疑う余地もない事実だったそうである。 そうしたなかで、「花かつみノハナショウブ説」も支持されていたようで、花かつみは花菖蒲の古名称の一つだったようである。例えば愛知県の知多郡阿久比町では、家康生母の於大の方所縁の花でもある花かつみ(ノハナショウブ)を、同町にある「花かつみ園」に保存栽培している。また菖翁も著書「花菖培養録」のなかで、安積の沼の花かつみを取り寄せたことや、花菖蒲と花かつみはどちらが本名なのかということを書き記している。また花かつみは安積沼に生えるノハナショウブのことであると論証した「花かつみ考」も存在する。
また、現在郡山市では、『おくのほそ道』の一節から花かつみを市の花に定め、ヒメシャガをそれにあてている。これは『相生集』(天保十二年)に、「花の色はさながら菖蒲の如し。葉ははやく繁りて其末四面に垂れ、尋常のあやめなどの生たる姿には似つかず。」とあることや、明治九年の天皇の東北巡幸のさいに、この花を花かつみであるとして天覧に供したことからのようである。
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