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桃山時代からの庄屋であった、当園園主 加茂家の邸宅

庄屋屋敷 加茂荘は、花菖蒲園の中央東側に位置する建物です。加茂家の邸宅であり、屋敷の入り口に当たる長屋門は、江戸時代中期の安永2年(1773)今からおよそ220年前の建築です。
写真は、5月5日の端午の節句に、長屋門の軒にサトイモ科の菖蒲(ショウブ)を葺いた様子です。長屋門脇の塀には、魔よけを目的とした、花菖蒲をあしらった鬼瓦も見られます。
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※ 庄屋屋敷 加茂荘は、花菖蒲園の開園期間はご見学可能です。それ以外の季節でも、ご見学可能ですが、
都合により、時に閉めることもありますので、屋敷を中心にご見学される場合は、事前にお問い合わせください。


庄屋屋敷内部の様子です。この畳の部分を「でい」といい、その昔は家族の者が食事をとる空間でした。天井は太い木が組んであり、その重厚感に驚かされます。障子の外には池があり、カモなどが泳いでいます。
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庄屋屋敷の土間の部分です。長屋門と同じく江戸時代中期の安永2年(1773)今からおよそ220年くらい前の建築です。その昔は、右手の板の間で食事を配膳し、奥の畳の部屋(でい)で食事をとっていました。
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みせ
手前の3畳の間が「みせ」と言って、接客の間となっていました。
その奥に10畳の座敷が4つあります。なお、座敷に上がられる場合は、別途500円いただいております。 |
天井
天井は太い木材で組まれており、とても力強い構成です。 |

5月初旬には、座敷内にて花菖蒲の室内展示が行われます。 |

4月29日から5月初旬にかけて、桜草の展示が行われます。 |

屋敷裏の池
庄屋屋敷の裏には池があり、マガモ、クビワコガモ、コクチョウなどが放し飼いにされています。 |

昭和10年頃の加茂荘 長屋門の前は水田で、一角に花菖蒲が植えられていた。当時の貴重な写真。 |
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加茂家は桃山時代からの庄屋であり、天正十七年に当時浜松城主であった徳川家康よりの書状をはじめ、江戸時代を通ずる古文書多数を蔵し、一部は文部省資料館に保存され、近世史家の間に加茂家文書として知られています。
慶長九年の検地帳によれば、当地(遠州佐野郡桑地村)の過半を占める、極めて有力な庄屋であったことがわかります。その頃は手作りの稲作を行っていましたが、江戸中期の享保の頃より小作地が増え、江戸末期、弘化の頃には六十四名の小作人から五六六俵を収納した記録があり、当地としては等一級の地主となる一方、掛川藩から地方御用達として、公認の金融機関の役割も持つようになります。幕末には掛川藩に対する貸し倒れがかさみ、明治維新で幕藩体制が解体された時には、多額の貸し倒れが生じたといいます。
庄屋時代の加茂家は、国学、和歌などに熱心であり、文人墨客の往来が盛んであったようです。
明治以降は当地の代表的旧家として知られて来ましたが、戦後の農地改革で約五十町歩の耕地を失い、時代の流れに消えるかにみえました。しかし昭和の三十年代より始めた花菖蒲園経営(加茂花菖蒲園)により再び脚光を浴び、旧家の復元補修も出来るようになりました。今日ではシーズンに約十一万人もの人々が訪れ、日本でも指よりの花菖蒲園として知られています。
また、平成二年に富士宮市の朝霧高原にオープンした富士国際花園をはじめ、平成13年7月には島根県松江市に世界の鳥と花を集めた「松江フォーゲルパーク」が開園。平成15年9月には地元掛川に「掛川花鳥園」を開園。さらに平成18年3月には兵庫県神戸市ポートアイランドに「神戸花鳥園」が開園し、年を重ねるごとに、ますます発展しております。
現在の長屋門、厩、母屋の階下などは江戸時代中期の安永二年に建てられ、約二百二十年を経ています。二階は明治十七年に付け加えられ、それまではは総て茅葺き屋根であったものが瓦に改められました。母屋の北端の奥座敷と土蔵は明治後期に改築されたものです。
花菖蒲は厄除けとして古くから作り伝えられていましたが、明治初めに拡張され、門前に花菖蒲園が出来ました。戦時中は食糧増産のため縮小されましたが、戦後に復活拡張されて今日の姿になりました。
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